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開催期間:2021年7月3日(土)~9月26日(日)


―― 出 展 者 紹 介 ――



越谷 籠染灯籠

(中野形染工場+ハナブサデザイン)

埼玉県越谷市にある1908(明治41)年創業の中野形染工場は、日本で唯一の藍染め技術「籠染め」でゆかた生地を生産してきました。
伊勢型紙から丁寧に刷りとられた和柄模様を、真鍮板にエッチングし円筒状にした型をそのままの状態で使用し製作した内照式オブジェが「籠染灯籠」です。
籠染灯籠は日本の着物や浴衣などの雅で粋な文化と伝統の和柄の美しさを未来につないでいきたいとの想いで生まれました。
いずれも浴衣生地の生産過程で実際に籠染に使用されているもので、基本的に1点モノとなっています。

伏谷商店

(名古屋提灯)

1950(昭和25)年、創業者であり前社長である伏谷幸七氏が名古屋の提灯工房で修業を始めました。そして、江戸時代より伝えられた伝統技法を習得し1962(昭和37)年に「伏谷商店」を創業しました。
提灯の材料となる和紙や竹ひご、木材が豊富に手に入るほか、火袋(ちょうちんの部分)を貼る工程に必要な人手も名古屋という土地は適していました。
伝統的な提灯はもちろんのこと、現代のくらしの中にも映えるデザインのランプシェイドなど常に進化を続けています。

ORITERASU

(折り紙作家 布施知子&照明デザイナー 阿曾正彦)

ORITERASUについて
独自の折り方を組み合わせることで、幾何学模様の造形を生み出します。内側から発光された光は、 幾何学的に折られた面にあたり、同時に陰翳をつくり、やわらかいあかりへと変化します。 
和紙は、折り曲げることで強度が保たれます。提灯や行燈の様に内部に竹ヒゴなどの梁(はり)はなく、独創的なフォルムを形成した紙の彫刻のようです。
折り紙の再現性にも注目し、「畳める」 といった特長を備えています。これは、扇子や、屏風、風呂敷のように使わない時は畳んで収納できるという日本の暮らしに根付いたテクノロジーを継承したものです。
折り紙から漏れる灯りが皆様の心の中まで優しく照らせれば幸いです。(照明デザイナー 阿曾正彦)

布施知子(ふせ ともこ)
1951(昭和26)年新潟県生まれ。1973(昭和48)年千葉大学園芸学部卒業。ユニット折り紙の先駆者の一人として高い評価を受けています。著書多数。国内外を問わずファンは多く、英語、ドイツ語、韓国語など翻訳された著書も多い。海外の折り紙作家との交流にも熱心。折り紙ランプシェードやOrigami Pots(特許を取得)など工業製品も手がけています。照明デザイナー阿曾正彦とのコラボレーションにより、折り紙照明を「ORITERASU」として商標登録する。1986(昭和61)年、長野県の八坂村(現・大町市)に鳥海太郎氏とともに移住。長野県の山中に住み、斬新な作品を発表し続けています。

(かんざし作家)

東京都在住。ディップアートの技法を応用した作品を製作。 ワイヤーで輪郭を作り、それを液体合成樹脂にくぐらせシャボン玉のように膜を張らせることで形を作る技法でかんざしを製作。その優美な作品に多くのファンを持つ人気作家です。


山鹿灯籠浪漫・百華百彩

(熊本・山鹿)

夏の風物詩『山鹿灯籠まつり』と対をなす冬の祭典『山鹿灯籠浪漫・百華百彩』。 かつて、和傘の大産地としてその名を知られた山鹿の町。当時の姿を蘇らせるような、賑やかな祭りができないものか…。そんな想いから生まれた『山鹿灯籠浪漫・百華百彩』は、毎年2月の金曜日・土曜日に開催されています。
山鹿ならではのお楽しみは、明治・大正の賑わいを今に伝える芝居小屋『八千代座』では勇壮な山鹿太鼓&優雅な山鹿灯籠踊りを楽しめる『山鹿風情物語』が開幕。脈々と受け継がれてきた山鹿の伝統文化は見ごたえ充分です。

鈴木盛久工房

(南部鉄風鈴)

鈴木家の由来は、1625(寛永2)年、鈴木越前守縫殿家綱が南部家の本国甲州より御用鋳物師として召し抱えられ、仏具・梵鐘などを鋳造することに始まりました。十三代盛久は、記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として、1974(昭和49)年に国の指定を受けました。十四代盛久(鈴木貫爾)は、東京藝術大学美術学部教授を務め、現当主である十五代盛久(熊谷志衣子)は、南部鉄器史上初の女性釜師となりました。老舗として伝統の技術を守りつつ、現代生活にも溶け込む鉄器の製作を続けています。
「鈴木盛久工房」WEBサイト

篠原風鈴本舗

(江戸風鈴)

1915(大正4)年創業の篠原風鈴本舗は、初代-又平を祖とする江戸風鈴の製造所です。二代目である儀治氏は、先代から受け継いだガラス風鈴を、昔の東京-「江戸」で、江戸時代から作られていたことから、昭和40年頃に「江戸風鈴」と名付けました。現在、江戸風鈴の製造は篠原風鈴本舗と、篠原まるよし風鈴の二か所のみとなっています。儀治氏の孫にあたる由香利さんは、手塚プロダクションとのコラボ商品や東京の街並みを切り絵風に表現した「TOKYO」シリーズなど、現代の感性も取り入れた風鈴を創るなど、幅広い世代にもモノづくり文化を伝えています。

柏木美術鋳物研究所

(小田原風鈴)

平安の時代に起源を持つ相模鋳物。小田原の鋳物は1534(天文3)年に河内から来住した山田次郎左衛門が鋳物業を開いたことが始まりであるといわれています。室町・安土桃山時代は、関東を治めた北条氏の庇護の元、江戸時代には宿場町として繁栄した小田原宿の需要に応える発展していきました。1686(貞享3)年に鍋町(現在の浜町)に移り住んだ柏木家は、近代になり大量生産の波に押され小田原の鋳物業が徐々に衰退していく中でも、銅合金鋳物など新たな技術とともに継承され、現在では唯一残る鋳物業として鳴物を中心に製造を続けています。高音で澄んだ音色が特徴的な砂張(さはり)で作られた鋳物作品はその象徴ともいえるものです。


能作

(鋳物・真鍮風鈴)

1609(慶長14)年、加賀藩二代藩主・前田利長が高岡城を築き、城下町として栄えたこの街は、時代のニーズに合わせて多様な製品をつくったことにより鋳物の街として知られるようになりました。1916(大正5)年、仏具・茶道具・花器の製造で創業した能作は、1965(昭和40)年頃、豊かさを増す日本人の生活に着目し、モダンなデザインの花器がヒットしたことで大きな転機としました。その後、景気の低迷や、生産拠点の海外へシフトするなど業界全体が苦境に立たされました。更なる転機は2001(平成13)年、東京・原宿で開催された展示会で素材の美しさを活かした真鍮製品が注目を集めたことでした。長らく職人であった能作克治氏が磨き上げた技術で自社製品を開発したことによるものでした。 “もの”と“こころ”を結ぶ商品づくりが次なる未来を築いています。

明珍本舗

(火箸風鈴)

平安時代から続く甲冑師の流れをくむ明珍家は、12世紀半ばに近衛天皇よりその技を賞賛され「明珍」の姓を賜りました。戦乱の世を経て、江戸時代には姫路藩のお抱え甲冑師として姫路へ移り住むことになりました。明治時代には甲冑の需要がなくなり、千利休のために火箸を作ったという故事にならい火箸製作を行うようになりました。伝統の技を途絶えさせないためにも、52代明珍宗理氏が試行錯誤を重ね、1965(昭和40)年、ついに「明珍火箸風鈴」が誕生しました。

大塚理航

(いけばな 古流かたばみ会)

1991(平成3)年東京生まれ。江戸時代から継承されてきた伝統様式である「生花(せいか)」と、植物の魅力を造形的に表現する「現代華(げんだいか)」を指導の大きな柱としている「古流かたばみ会」。その次期家元として、各種花道展への出品やイベント装花をはじめ、時代に合った価値提供としてInstagramやYouTubeなどのSNSを通して、いけばなをやっていない人でも楽しめるコンテンツの提供も積極的に行っています。従来の価値観に捉われない作風と、いけばなの普及・研鑽に努める若手華道家です。

カミノシゴト

(水うちわ)

737(天平9)年頃にその起源を持つ美濃和紙。原料である楮、三椏、雁皮がとれること。そして良質の冷たい水など条件を満たしていた美濃は和紙の生産地として栄えました。
「カミノシゴト」は、1300年の伝統に培われた和紙をリデザインすることで、現代の生活の中でも身近な素材として多くの人々に楽しんで貰える製品づくりを心掛け、サスティナブルな社会を目指すことをコンセプトに「家田紙工㈱」が運営主体となってすすめているブランドです。


月夜野工房

(ガラス)

1950(昭和25)年創業の上越クリスタル硝子は、温度計や計量器等の理化学ガラスを製造する工場として誕生しました。戦後の日本を明るく照らした照明用ガラス、高度成長期の家庭を彩った花器、そして現代のテーブルウエアと、その時代時代に求められたガラス製品を作り続けてきました。そのような中「ガラスを愛するすべての人のために」という想いから、職人の技とデザイナーの感性が融合する場として月夜野工房は生まれました。

ミツワ硝子工芸

(江戸切子)

1971(昭和46)年創業のミツワ硝子工芸は、多彩なカット技術、多様な硝子素材を手がける工房です。それゆえ、加工に必要なダイヤモンドホイールなどの道具も、幅広い種類を揃えています。工房に寄せられる依頼に応える道具がなければ、その道具を自ら開発もしてきたという。まさに、進取の気性に富む工房です。工房で手を動かす職人は、20代、30代の若い職人で構成されているのも珍しく、工房オリジナルの江戸切子は「ガラス工房 彩鳳(さいほう)」の名の下、毎年新作を世に送り出しています。

玻璃匠 山田硝子

(江戸切子)

「玻璃匠 山田硝子」のルーツで山田栄太郎氏は、1881(明治14)年に切子(カット)の指導者として明治政府から招かれた英国人・エマヌエル・ホープトマンに指導を受けたひとりです。その江戸切子の技は、「玻璃匠 山田硝子」初代・山田智信氏、二代目・輝雄氏、そしてその子息である三代目の真照氏に脈々と受け継がれています。幾何学的な紋様が主の江戸切子に対して、優美、繊細な表現が可能になる花切子の技法は、江戸切子のイメージの枠にはまらない繊細あるいは大胆な表現力を生み出しています。

中金硝子総合

(江戸硝子)

江戸硝子の歴史は江戸中期にさかのぼります。透明なガラスを使った風鈴などの小物雑貨が主流を占めていましたが、次第にカットを彫り込んだ切子の雑貨が誕生します。中金硝子の創業は1948(昭和23)年。色被せ硝子を得意とし、半世紀にわたって江戸硝子の伝統を守り続けている。中でも二色の硝子を重ね合わせて吹く「ポカン工法」は、創業者の中村金吾氏が考案したもので、今では多くのガラス工場で使われている技法です。それらを継承する弘子さんは、製品のデザインやサンドブラストの技術を活かしながら現代にマッチしたガラス製品をプロデュースしています。


廣田硝子

(ガラス)

1899(明治32)年、東京で創業した廣田硝子は、創業当時より伝えられる貴重なデザイン資料を元に、江戸切子や吹き硝子など脈々と受け継がれる手仕事による伝統的製造を継承し、現代のインテリアに調和するプロダクトを作り続いている硝子メーカーです。

切子工房RAU

(天満切子)

江戸時代に長崎のガラス商人・播磨屋久兵衛は、オランダ人が伝えたガラス製法を学び、大阪天満宮近くで作っていたと言われています。その後、現在の与力町・同心界隈を中心にガラス工場が増え、大阪のガラス産業は急速に膨張しました。近年になり国内外の安価な品物の影響もあり大阪のガラス産業も衰退していく中、1933(昭和8)年創業「宇良硝子加工所」の宇良武一氏が、一般的なV字形ではなくU字形の刃でカッティングする今までにない技法で切子を作り「天満切子」として新たな息吹を生み出しました。「切子工房RAU」として時代を経て更なる歴史を刻んでいます。

島津興業

(薩摩切子)

日本を強く豊かな国にしたいとの熱い思いを抱いた島津斉彬や彼の意志を継ぐ人々により、鹿児島で進められた「集成館事業」から日本の近代化がはじまりました。その島津の伝統と先人たちの志を受け継ぎ、鹿児島にとってなくてはならない企業を目指す島津興業。桜島を臨む名勝・仙巌園をはじめ、歴史的所蔵品を有する尚古集成館などまさにラウンドマークといえます。幕末に28代島津斉彬の命により、鹿児島で生み出された「薩摩切子」は、芸術性と卓越した技術力で工芸史上高く評価されている美術工芸品です。明治維新を経て西南戦争へ進む歴史の中で、その製造は途絶え幻のガラス工芸品となってしまいましたが、1985(昭和60)年、島津家が中心となって復元事業を推進。現在では「島津薩摩切子」の名称で今なお多くの人々に愛されています。

琉球ガラス村

(琉球ガラス)

1983(昭和58)年、沖縄県内6社の琉球ガラス工房が合併し「琉球ガラス工芸協同組合」を設立。その後組織変更を行い、1988(昭和63)年現在の工房とショップがオープン、ガラス工房での体験コースが開始し、「見る工房」から「参加する工房」へ展開していきました。1990(平成2)年、大城孝栄氏が琉球ガラスでは初めてとなる「現代の名工」に選出されました。その後「ベトナム琉球文化工芸村」の展開など、海外でも積極的に展開を行っています。味わい深い手触りと、南国ならではの色合いの琉球ガラスは、1,300℃の窯とガラス職人の感性によって生み出される沖縄ならではの文化です。


ひだか和紙

(土佐和紙)

1949(昭和24)年、高知県日高村日下という谷合の里に暮らす土佐典具帖紙の漉き家十軒が集まり前身となる組合を設立したことに始まりを持つひだか和紙。当時、手漉きの典具帖紙はタイプライター用原紙として盛んに海外へ輸出されていました。その手漉きの技術をベースに研究と努力の末、機械漉きの技術に1969(昭和44)年に持ち込まれ、懸垂式短網 抄紙機の一号機が誕生しました。土佐典具帖紙は「かげろうの羽」と形容されるほどの薄さを誇る楮紙です。現在扱う一平米あたり2.0g、わずか0.02ミリの世界一と言われる極薄紙は、傷んだ絵画や書物、仏像などの文化財修復をサポートする紙として国内だけではなく世界的に使われています。

せいのまゆみ

(月山和紙あかり作家)

山形県西村山郡生まれ。曾祖母の実家が月山和紙漉きを職務としていたことから月山和紙の世界に親しみます。2000(平成12)年より実家である月山志津温泉 旅館仙台屋に飾る月山和紙を使用したあかりの制作を始めます。その技法は独学によるオリジナルであり心あたたまるあかりが人気を博しています。

高山しげこ

(漉き紙の灯り)

文化服装学院ディスプレーデザイン科卒業。2001(平成 13)年より紙を漉く技術を応用したあかり作家として活動。漉工房(すきこうぼう)創業者 大川修作氏から意匠と技術を引き継ぎ現在に至る。主に百貨店やギャラリーなどに出展。空間のインスターレーションや店舗・住宅の照明なども手がけています。作品のモチーフは「森」「星」「月」など自然をテーマにした具象や抽象的なデザインを施す。和紙・洋紙問わず様々なな紙の原料を活用し、それぞれの素材が持つ質感を最も大切にしています。

和傘工房「朱夏」

(和傘あんどん)

日本の伝統を傘に伝える。「和傘」という、日本が世界に誇る代表的な民族文化。大分県中津でも、最盛期であった昭和の初めには、約70軒あった和傘屋は洋傘の普及とともに衰退し、江戸時代から続いていた九州で唯一の和傘屋も平成15年に高齢化等で製造を止めてしまいました。城下町中津のシンボルとしての和傘工芸の伝統を復活しようと有志8人で朱夏の会を結成し、典型的な下級武士の家として残っている福沢旧邸の隣に、明治中期建築の家屋を改造して作業場として和傘製造を始めました。現在では和傘をアレンジしたランプシェードや和傘あんどんなどオリジナル作品も多数製作。常に新しいものに挑戦しつづけています。


谷 俊幸

(照明作家)

1974(昭和49)年兵庫県生まれ。神戸芸術工科大学プロトデザイン科卒業後、友人とともにデザインチーム「air-com」を設立。 1999(平成11)年、 独立し「MODERN」を設立。東京に拠点を移しインテリア作家として活動。2000(平成12)年には IDEEの「スプートニク」として海外進出。2001(平成13)年、ユネスコ主催のNYイベント「デザイン21」の招待作品として参加。2002(平成14)年、照明「Mocoro Lamp」シリーズを発表。全国での個展活動及び店舗照明関係も手掛ける。2003(平成15)年に照明「PP-wood Lamp Shade」シリーズを、2004(平成16)年には 照明「Sen Lamp」を発表。2005(平成17)年の全国での個展活動を経て、 2006(平成18)年にMODERNから照明作家となる。

北島拓弥

(ひょうたんランプ作家)

宇宙、花を主なテーマに、日本人に宿る繊細かつ大胆な工芸世界の表現をコンセプトとして活動。2009(平成21)年、27歳の時にひょうたんランプに出会い創作が始まる。2010(平成22)年、庭で初めてのひょうたん栽培をし、20個ほどの収穫となりその年の冬から本格的にランプを作り始めた。2011(平成23)年には、畑を借り栽培。200個ほどの収穫を得るまでになった。2014(平成26)年、個人事業主[拓美庵(たくみあん)]を起業。2015(平成27)年、「天祭一0八」に出展。その後、個展及び出張ワークショップなど多数。

中田雅巳

(陶芸家)

石川県生まれ。石川県立九谷焼技術研究所を卒業後、能美郡川北町にて制作活動中。
2007(平成19)年 金沢市工芸展 金沢市長最優秀賞受賞
東京、ドイツ・ハイデルベルグ、イギリス・ロンドン、ドイツ・ミュンヘン、富山などで個展、合同展を精力的に行う
2014(平成26)年より、金沢美術工芸大学にて非常勤講師を務める。
2015(平成27)年 JAPAN!(フランス・パリ)
2017(平成29)年 「日本陶磁協会現代陶芸奨励賞」展 奨励賞受賞
          「菊池ビエンナーレ」奨励賞受賞
2019(令和元)年 TEFAF Maastricht(オランダ)酉福ギャラリーより出展
          東京・LIXILギャラリーにて個展

猿田壮也

(陶芸家)

1967(昭和42)年千葉県生まれ。瀬戸窯業で陶芸の世界に触れ、南川窯にて作東を学ぶ。1997(平成9)年、埼玉県日高市にて築窯。2003(平成15)年に、青森県むつ市脇野沢に築窯した後、2008(平成20)年に、青森県五所川原市金木町に移転し築窯。現在に至る。 自然の中で作陶する味わ深い作品に多くのファンを持つ。


洛中髙岡屋

(おじゃみ座布団)

洛中髙岡屋は、1919年(大正8年)の創業以来、手づくりのお布団やお座布団を通じて、京都の人々の暮らしに深く関わってきました。創業100年を迎え受け継いできた伝統と技で生み出す“寛ぎの道具”を「寛具=かんぐ」と名づけ、心から寛ぎ、笑顔になれるアイテムを届けたいと考えています。
ライフスタイルの変化に伴い、床座でもソファでも和洋の空間を問わず使える「おじゃみ座ぶとん」は、お手玉の作り方からヒントを得て生まれました。関西では「お手玉」のことを「おじゃみ」と呼びます。
日本人ならではの感性と思いが詰ったアイテムで、くつろぎの時間を楽しめます。

柳井金魚ちょうちん祭り

(柳井市)

柳井の民芸品である『金魚ちょうちん』をモチーフにした夏の一大イベント。お盆等で帰省された方々をふるさとの民芸品でお迎えするものです。会場内には約4,000個の金魚ちょうちんが装飾され、そのうち約2,500個に灯りをともします。金魚ちょうちんから洩れるほのかな灯りが幻想的な雰囲気を醸し出します。最大の見どころは『金魚ねぶた』で、祭りの会場を堂々と、時には荒々しく練り歩きます。また、柳扇会による『金魚ちょうちん踊り』も必見です。フィナーレにはふるさと花火(871発)が打ち上げられ、柳井の熱い祭りに終わりを告げます。

矢萩ひかる

(フェルト金魚作家)

1991(平成3)年北海道生まれ2014(平成26)年北海道教育大学卒業。
幼少期より金魚の人懐っこさや文化、歴史に魅了され金魚作品を作り始める。
大学在学中に羊毛フェルトと出会い、作家活動を始める。自身の運営するブランド[deme*tyoubi]は、出目金と蝶尾に由来します。
2015(平成27)年 「金魚に恋する作品展」(阪神百貨店)
2016(平成28)年 「あやなす」(有楽町マルイ)
2017(平成29)年 「金魚美抄展」(金沢21世紀美術館)
2019(令和元)年 「金魚ラブ展」(すみだ水族館) 他

ヨダタケシ

(音楽)

手を触れずに演奏する不思議な電子楽器、テルミンを操る音楽家であるヨダタケシ氏は、女神の歌声とも評される独特な音色を操り、ファンタジックな世界を創り出しています。楽器演奏のほか、サウンドクリエイターとして国内外で映像作品等の音楽を手掛けています。本展では前回に引き続き部屋毎の展示テーマに沿ったオリジナル楽曲を担当しました。
ゲストヴォーカリストは前回に引き続き片山千穂氏。更に笙・雅楽奏者である音無史哉氏を新たに迎え、音楽でニッポンのあかりを表現します。

[片山千穂]舞台俳優、ダンサー、歌手。音楽座ミュージカル /R カンパニー退団後フリー。 [音無史哉]笙、雅楽奏者。古典雅楽の演奏はもとより、Tim Hecker、蓮沼執太フィル、yama、TV ドラマ、 ゲーム、公共空間や映像作品の音楽等、国内外で様々な音楽プロジェクトに多数参加。みやびを遊ぶ 「花舞鳥歌風遊月響雅楽団」共同主宰。給湯流雅楽部長。(profile photo by IJT)


※展示エリア順(予定)

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